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ねさま

Author:ねさま
高山の一角でひっそりくらしています
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03/31

別れの季節(めでた)

Category : 行事
 昨日から雪が降り続き、今朝は冬に逆戻りの景色でした。明日から4月というのに・・。春はまだまだのようです。

 3月は別れの季節です。職場の送別会がありました。高山の宴会は独特のしきたりがあり、他地域の人は驚きます。
 
 当番長挨拶、主賓挨拶、乾杯とあって、席についたまま隣同士、酒をつぎあって飲みます。ここで、上司にお酒をと思って席を立ってはいけません。
「めでた」が出ないと、出歩いてはいけないことになっています。この「めでた」というのは、謡(よく分かりませんが)だと思います。
男性で、それなりに重鎮な人が指名されて出てきます。少し挨拶をして、「ご唱和お願いします。」となり、謡いはじめます。

 めでためでたの 若松さまよ
 枝も栄える 葉も茂る


 これだけの歌詞です。それが以下のようになります。

(独唱) め~え~で~え~た~あ~あ~~~ 
     め~え~え~で~え~え~た~あ~あ~~~の~お~

(唱和) お~~わ~~か~ま~つ~う~~う~う~~さ~あ~ま~~あ~~~
     え~だ~あ~も~お~お~お~~え~さ~か~~あ~ゆ~~る~~~
     は~あ~あ~も~お~お~お~~しゅ~う~~げ~え~~る~
 (約4分)

 地域によって微妙にちがいがあって、「○○めでた」と上に地域の名をつけていいます。古川(お隣の市)はこの長い歌詞のあとに「ぜんぜのこ、まんまのこ」という乗りのよい歌が続きます。
 まず、この歌詩の意味が分からずびっくりで、みんながそれにあわせるのでびっくりするみたいです。
 今は「めでた」だけになりましたが、もっと前は「返し」といってお返しの歌もあったそうです。


 送別会がおこなわれた「花兆庵」では高山雛まつりが行われていて、いたるところに、お雛様が飾られていました。御殿飾りの雛様、土雛、繭雛、クラフト雛、クリスタルの雛・・。大きいのから小さいのまでたくさん飾ってありました。しまった、カメラをもってくるんだったと思いましたが、あとのまつりでした。(携帯にカメラはついていないので・・)
 
03/26

清伝寺

Category : 街角
 高山にはお寺が多いです。京都に模して東山があり、お寺がつながっています。清伝寺は寺院群の一番東にある真言宗のお寺で、飛騨三十三観音霊場の7番です。元は富山にあり、大正時代に江名子へ移ってきたそうです。
 
不動明王

 これは、母が清伝寺で行われている会で、仏様の絵に色を塗ったものです。なにかにつけてお寺へ出かけて、家内安全や合格祈願などを行っているようです。最近、大人の塗り絵が流行っていますが、「先取りしている」と喜んでいます。ホームページの「岳の夕映え」に全部アップしたいと思っています。

 高山では、一般の人とお寺とのつながりは、まだ多くあるように思います。義父母は、高山別院の御番とかいって出かけます。子どもは、夏休みのラジオ体操のあと、お寺でお経をあげてきます。


 娘が帰ってきました。二人で雛様を飾りました。お二人なのに、部屋を占領しています。ようやく高山にも春が来そうです。
我が家の雛様

 遅く帰ってきた主人が、「こんなに早く飾ったら、早くに嫁にいってしまう」となげいていました。
 
03/19

浮御堂

Category : 街角
大隆寺浮御堂


 山王峠を越えて実家へ行く途中、畑の中に浮御堂がひっそり立っています。そのお堂には弁天様が祀られています。写真の後方、石段を上がったところに大隆寺があり、寺も守っていく人がいなく、閉めてあるそうです。高山は観光地ですが、このあたりを訪れる人はいないようです。

 調べたところでは、「大隆寺三世竺翁恵林和尚が造営させたもので、池中の乱石積基壇上に建てら、内部の各天井には、色鮮やかに鳥や草木が描かれる。」ということです。
 
 峠をこえるのですから、どんな山奥かと思われるかもしれません。確かに上って下りるのですから峠です。通学路なのに、熊が出たということもあります。ちょっと脱線。

 さて、ここからはねさま密着話。
 子どもが小さいころ、車でその峠を下りる途中、亀が道を横断しているのを発見し、家へ連れ帰り、3年ぐらい飼っていました。飼いきれなくなって、この池へ放しました。
  私  「せっかく助けてあげたのに、恩返しにこない。」
  子ども「こないねえ。母さんがいじめたんじゃないの?」
 浮御堂の横を通るたびに、この会話がくりかえされます。

 池の手前に「魚を釣らないでください」という看板がありました。魚もいるのなら、亀も生きてるかしらと思います。ペットを放置してはいけないので、亀を放してはいけなかったのだろうなあという罪悪感はあります。このあたりは、城山公園の一帯になるのですが、放置された鶏が生き抜いていることもありました。・・・言い訳です。
 
 
03/17

Category : 街角
 自転車通勤の楽しみの一つに、蔵を見つけることがあります。

 高山は、火事が多くて秋葉様が祀られていることは以前紹介しました。蔵も、火災を防ぐ役目もあるそうです。市民時報(地方情報紙)に、その昔、大火があって土蔵で延焼が止まったということが書いてありました。何年か前に、古い町並みで火災があったときも、酒屋さんの土蔵にこげあとがつきましたが、ぼやで終わりました。

 そういえば、家々が隣接しているところに蔵がつながって建っています。道路から見えにくいところにあるので、蔵があると分かると、ここでも発見と何かしらいいことがあるような気持ちになります。昔からの家は蔵を大切にしているようです。

 我が家にも、蔵があります。敷地の4分の1ぐらいが蔵で、住居部分は蔵に合せて建ててあり、どことなく不便です。火災のときに閉める大戸があるようですが、私はその仕組みは分かりません。義父は、何があっても蔵を守っていきたいと思っているようです。

 蔵の中には、何が保管されているかというと、宝物です。・・・そんなことはありません。2階部分には、衣服、古い食器、アルバムなどありますが、嫁さんの私はタッチできないところです。1階の一部分は、部屋に改装してもらって、ピアノとエレクトーンが置いてあります。主人にとっては、昔おしおき部屋、今は仕事の物の保管場所になっています。

 蔵が美しいといえば、お隣の飛騨市古川町です。古川町はの育ったところです。少し前のNHK朝のドラマ「さくら」でも有名になりました。瀬戸川沿いに土蔵が並んでいました。古川も火事の多いところだったそうです。

 古川

 
03/11

ふきのとう

Category : 季節
ふきのとう

 このところめっきり暖かくなって、春はもうすぐです。
 実家の庭に、ふきのとうが顔を出していました。右の写真は、福寿草です。この場所は雪が溜まっていた場所ですが、福寿草があるからと、雪をよけたばかりで、すぐ顔を出してくれました。がんばってるねと
声をかけたくなります。
 
 我が家の庭のふきのとうは、まだ出ていません。娘は小さいころ、タンポポ、チューリップ、犬、ダンゴムシなど、何にでも話しかけて、みんなお友達だったのです。ところが、「ふきのとう」だけは苦手で、見ると「こわ~い」と言って立ちすくんでいました。春になるたび、我が家の話の種になります。
 
03/09

そったに

Category : 方言
「あれ、こ~わいさ」「だしかん」「はんちくたい」
このあたりは、高山の方言として、よく知られています。

 職場で、みんなが普通に使っていてどことなく方言という言葉を聞いて、ひとりでにやにやしてしまいました。
「さっき、そったに。」(せった)ともいいます。煮物でも、履き物(せった)でもありません。いつもは洗練された話し方の人がこう言ったので、あらっと思いました。

ひぼ、ちょうだい。」
紐のことです。年配の方はよく使います。

「今から来るさ。」「これ、くれる。」こちらは、行き違いがおきる言葉です。
「今からそちらへ行きます。」「これを差し上げます。」
という意味です。相手の立場にたった言葉だそうですが、説明していると混乱します。


 方言になるのかどうか分かりませんが、私ができない言い回しがあります。
 今はずいぶん少なくなりましたが、農家の人が野菜や花をリアカーに積んで、家々に「キュウリいらんかな。」などと声をかけて売り歩いてきます。断るときに、義母も母も、
「きょうは、ようござんしたあ。」
と言います。独特の抑揚とやわらかい雰囲気があって、真似できません。これがすんなり言えるようになったら、高山人でしょう。
 
03/08

えび坂

Category : 街角
おかめ石

 高山は金森氏が京都を模して作った城下町です。写真は、狭くて、勾配がきついえび坂です。この坂をのぼった右手の山にお城があって武士の居住地、坂の下が町人の住んでいた所です。棲み分け地を結ぶ道ということになります。両側の石垣のため、ずうっと変わらない景観だそうです。
 
 歴史は詳しくないのですが、まず思うのはどうして「えび」というかです。勾配がきついので登る人が身体をまげるからだろうと勝手に決めていました。調べてみたら、この坂ができた頃は、敵の侵入を防ぐため道が湾曲していたのだそうです。そうなのかと納得しました。

 とここまでは、私がよく知らない話。

 さて、「えび坂の電気の下のおかめ石」はよく知られています。電気がつけられてからこういわれるようになったようですが、おかめ石は前からあったのでしょう。おかめ石とねさまの顔、似ていませんか。

 ここから、ねさま密着話です。
 今は一方通行ですが、ずうっと以前は車でも下からあがれました。母が車の免許をとってすぐ、この坂の途中でエンストし、動けなくなりました。「母ちゃんの運転する車はいやだ。」ということになりました。

 今は凍結防止の装置がついていて、冬でも滑りません。その装置がなかったころ、坂の途中でスリップし、写ってはいませんが、写真左側の牢屋跡へつっこみました。石垣でなくてよかったです。

 自転車でこの坂をのぼるのはきついのですが、下のほうから必死でこいで、あがれると「やったね」と思います。

 城山を挟んで、実家と我が家は反対方向にあります。それで、主人は私のことを「山からえび坂を通って下りてきた」と言います。えび坂を下りると「町へ行く」という感覚があります。
 
03/05

高山はまだまだ冬

Category : 季節
 土曜日に名古屋へ行ってきました。
 久しぶりのお出かけなので、着る物になやみました。雪国の人は、服装はおしゃれをしていても、履き物は長靴だったということがありますから。朝起きたときは冷え込みがきつくて、まだまだ冬の服装で十分と思うのですが、名古屋の方は暖かいだろうし・・というわけで、上着を軽めのジャケットに、手袋は向こうで外していいからばっちりして、靴下は余り見えないからと厚めのものにしました。
 

 高速バスの中で、どの辺まで雪があるかしらと思って見ていましたが、途中寝てしまって分かりませんでした。歩道の花壇にパンジーが咲いていて、名古屋はやはり暖かかったです。

 昼食時、喫茶店から道行く人を観察していたら、様々な服装の人がいました。そうなんだ、自分の着たい服でよかったんだと一人納得していました。

 私は「おのぼりさん」なので、地下街や百貨店をうろうろしていました。若いおねえさんに「栄はどういったらよろしいですか。」と尋ねられました。「こちらの人間ではないので分かりません・・。」と答えたのですが、その後、だんだんおかしくなりました。わたしは、回りの人は名古屋の人だと思っているのに、彼女は私を名古屋の人だと思ったのですから。やはり都会なのですね。
 帰ってその話をしたら、「声をかけやすそうなおばさんに見えたのだろう。」と言われました。それもそうかなとまたまた納得しました。

 帰りも高速バスを使うのですが、バス停に早く着きすぎて、そこでぼんやりしていました。大分、熊本、飯田、仙台等へ行く夜行バスが出発していきました。それを見て旅をしている気分になれました。

 ところで、飛騨地方では出かけるときに、
「行ってきます。」
といいます。帰ってきたときは
「行ってきました。」
です。これは、どうも方言のようです。下宿していたとき、当たり前のように発していたのですが、大家さんが、怪訝な顔をしていました。方言のようだと気づいたのは最近です。

夜遅くなりましたが、義父が駅まで迎えにきてくれました。ありがたいことです。
「いってきましたあ~。」
 
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